「まごころ」の
歴史について調べてみた。

「まごころ」(真心)を辞書で引くと、「偽りや飾りのない心。親身になって尽くそうとする気持ち。」といった意が出てきます。いま、人に対する気持ちとしてさまざまな場面で使われているこの言葉、一体いつ頃から使われるようになったのでしょうか?

歴史を紐解くとまず、料理家として名高い北大路魯山人の名が出てきました。著書である「料理する心」の中で「料理にも、料理の要訣と申しますか、奥義と申しますか、そう言ってもよいと思うものがあるのであります。(中略)その第一は人間の真心です。これなども口で言っている分にはなんでもないことのようでありますが、実際には、なにを措いても、この真心というものがなくてはなりません。料理の上にも一番大切な条件となります。」と述べています。
また、幕末から明治にかけて活躍した政治家・山岡鉄舟が遺した言葉にこういうものがあります。「まこころの ひとつ心の こころより 萬のことは なり出にけむ」(一心に真心をもって物事に取り組めば、たいていのことは生み出せるものだ)と。

平安時代のシンデレラストーリー「落窪物語」にも、「まごころ」という言葉が数多く登場します。継母にいじめられた姫君が貴公子に見染められ幸せをつかむ姿を描いた物語ですが、当時の貴族の世界では、君主にまごころをつくして仕える姿が恒常的にあったのかも知れません。
さらに歴史を遡ってみましょう。「中庸」「論語」「孟子」と合わせて四書とされている「大学」の中に、次のような言葉が出てきます。「心誠求之、雖不中不遠矣」。心誠に之を求むれば、中らずと雖も遠からずという日本の故事成語にもなっているこの言葉。「心誠」は誠の心、すなわち真心のこと。真心をもって実践すれば、完全でなくてもほぼ近い形には達成できる。目的とドンピシャでなくても大きく間違うことはないと。

料理だけでなく、「まごころ」があればすべてのことはうまく行くと説いた魯山人。「まごころ」を貫き江戸城を無血開城へと導いた鉄舟。君子への忠誠心である「まごころ」。そして2,500年も昔に「まごころ」の大切さが記されていた「大学」。4つの話は、時代も場所もまったく異なりますが、「まごころ」がどのような意味を持ち、具体的にどんなチカラを発揮するのかを教えてくれています。令和の時代になっても変わらない「まごころ」の大切さ。それは未来永劫変わることはないでしょう。

※参考文献:Wikipedia(日本語)、北大路魯山人著「料理する心」

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